時には昔の話を

こんにちは、ゆうあい松本店の古田です。

今日8月15日は太平洋戦争の終結から77年の節目となります。

生まれも育ちも諏訪の祖父から昔話を聞くのが好きな私は、戦争中の諏訪の様子を聞いたりしていました。

当時小学生だった祖父は、山や森に行って食べ物を探したり、学校の裏側に防空壕を掘ったりしていたそうです。

疎開地だった諏訪地域は空襲の心配がほとんどなく、祖父は農家の子供だったこともあり、切迫した食糧難などにもならなかったとのこと。

そんなある日、祖父が空を見上げると真っ白い飛行機雲がいくつも並んで伸びていたそうです。その飛行機雲の正体は、日本中を空襲で焼き払ったアメリカ軍のB29爆撃機が残した飛行機雲だったと後から知ったと教えてくれました。

そして今から77年前の1945年、祖父は小学6年生で終戦を迎えました。8月15日はとても良い天気だったそうで、77年の時を経ても8月15日はたいてい天気が良く、あの日と変わらないのだそうです。

祖父から聞くことのできる「戦争」は再現ドラマやTVの特集のように痛ましく惨たらしい物とは違いますが、物心が付いたばかりの子供が食糧難を感じたり、命を守るための避難所である防空壕を自ら作った経験は、現代では在り得ないまごうことなき「戦争」の姿なのだと感じます。

今日は私のブログに何度も出てくる霧ケ峰へやって参りました。すがすがしい風が吹き抜けるこの霧ケ峰もかつては何もないただの森と平原と湿地だったと祖父が教えてくれました。

戦前~戦中にかけて「霧ケ峰開拓団」として移住した方々や周辺の人々が森を切り開き、里と山の周辺は開墾して畑を作ったとのこと。当時は養蚕が盛んで、カイコが桑の木の葉を好んで食べるため、桑の木を育てる畑にしていたそうです。

その後養蚕業は衰退し、耕作放棄地となった畑には再び木々が多い茂り、今となっては畑があった情景は見る影もありません。

また高原や湿地も管理の関係で人の出入りは簡単にはできなくなってしまいました(立ち入り禁止の区域もかつては祖父が遊んだり山菜を取りに行った場所だったようです)。

自分の身近で見慣れた風景も、人生の先輩である祖父の目から見ると大きく変わってしまっていました。

知らなければそれまでのことですが、知ることによって目線を変えたり、祖父の見たかつての風景に思いを馳せることも出来るようになります。

普段は聞けない話も、お盆に家族で集まって耳を傾けると、思いがけない発見が出来るかもしれませんね。

以上、ゆうあい松本店の古田でした。